茶井の創業は大正時代までさかのぼります。もともとはここ浦賀で祖父が乾物の店を開業しました。以来、父の代では戦後需要により、生鮮食料品から日用品まで扱うミニスーパーマーケットとなります。その後、昭和も終わりになるとコンビニエンスストアなどの台頭により、業態の変化が再び求められるようになりますが、3代目となる私が跡を継がないと宣言していたため、そのままとなります。私は「少なくともコンビニのような業態はやりません」と、謀大手コーヒーチェーンに就職をします。
今でこそ日本茶インストラクターの私ですが、実は中学生の頃からコーヒーが大好きでした。中学のときに写真が好きで、カメラマニアの先生といっしょに鎌倉や東京を撮影に歩き、そこでちょっと休憩に立ち寄る喫茶店に魅せられてしまいました。それ以来、コーヒーの芳香が様々にイマジネーションを膨らませるようで、コーヒー党になったのです。大学のときに、コーヒーを自分でブレンドする先輩に出会い、また近世ヨーロッパで成立したコーヒーハウスという今の喫茶店の原型みたいなものがあることを知り、益々はまっていきます。
コーヒー好きが高じて30歳を期にカフェを出してみようと思います。退社して人生かけるのですから、慎重に物件や業態を模索したのですが、ときはバブル崩壊・・・踏み出せるほど物件が見つかりませんでした。遊んでいるわけにもいかず、その間に親の店を手伝ったことがコーヒーから日本茶への分かれ道となります。
親の店ではお茶も販売していました。手伝いといえども取扱商品についての知識がなくてお客様に説明ができません。そこで乾物類を中心として勉強してみたらこれが面白い。その当時インターネットが普及し始めてきて、農薬やスローフードについての情報も手に入るようになりました。そこで店で売っている乾物類の生産履歴を調べてみました。しかし、残念なことにお茶は履歴が取れませんでした。卸してくれている問屋さんも教えてくれません。つまり、お茶の情報がなくわからないのです。それでは安全なお茶はどこで仕入れたらよいのかわかりません。であれば、お茶の仕入を自分でやろうと思い、日本茶の勉強を始めることになります。
ありがたいことに、販促用のグッズの展示会で偶然出会った―高円寺でお茶屋を営んでいる―渡辺さんがいろいろお茶の仕入についてアドバイスをしてくださりました。ご紹介いただいた中でも特に『琥珀』という釜炒り茶に出会ったことによって、お茶の味は忘れられないものとなります。それまで知っていたはずのお茶の味と言うものがすべてブッ飛んでしまうほどの衝撃を受けます。それは、お茶の入れ方の問題、入れ方ひとつでこうも違うものかと、その奥深さを感じました。この感動をお客様にも伝えたい、安全なお茶とおいしい入れ方の両方を同時に提供できる日本茶カフェをやりたいと決意して、今の「茶井」ができました。