日本茶カフェ/日本茶専門店「茶井」

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カフェコンセプト
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プロが入れた日本茶が飲める店

茶井は、一言で言うと「プロが入れた日本茶が飲める店」です。歴史を紐解くと、カフェというのは、様々な階級の人々が自由に話ができる場であり、また新聞などのメディアがまだ成立していない時代の情報形成と発信の中心でした。中世のがっちりとした階級社会が徐々に崩壊してゆく時代で、立場の違う人々が交わり、自由に話しあえる、自由がどんどん広まってゆく時代の、いわゆるサロンと言う重要な場所でした。時を隔てて現在のこの忙しい社会では、友達とお茶でのんびりなんていう時間は日々持ち得ないし、いわゆる立ち飲みの空間は本来喫茶店が持っていた質とはかけ離れた、いわば長距離ランナーの補給所みたいなものです。あるいは休みの日に、黙って座って一時間お茶をすすろうとしても案外難しい・・・それくらい常に時間に追われています。

そこで本来の喫茶店の質を求め、おとなの会話やくつろぎの時間と空間を提供するためには、コーヒーでは既にあれこれあって、それはそれでよいのですが、それよりも日本人として日本茶のほうが相応しいのではないかと思うのです。それには、本物の日本茶を提供しないといけません。そこで日本茶インストラクターが厳選した日本茶を提供するカフェ「プロが入れた日本茶が飲める店」を作りました。日本茶と喫茶文化のすばらしさ・感動をもっともっと広く伝えたいと考えております。

 

日本茶インストラクターとして

日本茶インストラクターの資格は非常に重要です。茶井の煎茶は、生産者まで足を運んで厳選し茶葉を仕入れています。全国からこだわりの農家を見つけ出し、直接茶葉を買い付けるのですが、それも日本茶インストラクターだからできることです。まったくの素人やあやふやな話では生産家も話を聞いてくれません。定期的に新たな生産者の方と出会うことで、おいしいお茶とも出会えます。ですからお茶の種類が少しずつ増えております。

ひとくちにお茶といっても100種類以上あります。緑茶の種類には、お米の種類に「コシヒカリ」とか「あきたこまち」とかあるように、「やぶきた」とか「ゆたかみどり」「さやまかおり」など、なんだか女の子の名前みたいなものが付いています。いろいろな種類があって味がみんな違います。また栽培方法・栽培環境や有機農法などの要素がさまざまあって、それらの後天的要素によっても味が違ってきます。

お茶の味、おいしさの条件は何なのでしょうか?よく言われることですが「味は五感で感じるもの」だと言えます。お客様が期待するおいしいお茶の味は、旨み、甘み、渋味などですが、他にも器の手触りであったり、室内の内装やデコレーションも美味しさを左右する条件として大切です。千利休が茶の湯としてお茶を飲む空間と時間のすべてをプロデュースしたことが、それを象徴しています。したがって、単に日本茶を提供するだけではいけません。今の若い世帯では急須すらないという状況です。だからこそ、本当に美味しい日本茶を味わってもらいたいと思います。日本茶インストラクターとして、もっと取り組むべき課題や提案すべき要素がたくさんあるのではないかと思っています。日本茶インストラクターが心込めていれる、おいしいお茶とそれをいただく空間と時間をご提供できればと思います。

 

茶井の歴史

茶井の創業は大正時代までさかのぼります。もともとはここ浦賀で祖父が乾物の店を開業しました。以来、父の代では戦後需要により、生鮮食料品から日用品まで扱うミニスーパーマーケットとなります。その後、昭和も終わりになるとコンビニエンスストアなどの台頭により、業態の変化が再び求められるようになりますが、3代目となる私が跡を継がないと宣言していたため、そのままとなります。私は「少なくともコンビニのような業態はやりません」と、謀大手コーヒーチェーンに就職をします。

今でこそ日本茶インストラクターの私ですが、実は中学生の頃からコーヒーが大好きでした。中学のときに写真が好きで、カメラマニアの先生といっしょに鎌倉や東京を撮影に歩き、そこでちょっと休憩に立ち寄る喫茶店に魅せられてしまいました。それ以来、コーヒーの芳香が様々にイマジネーションを膨らませるようで、コーヒー党になったのです。大学のときに、コーヒーを自分でブレンドする先輩に出会い、また近世ヨーロッパで成立したコーヒーハウスという今の喫茶店の原型みたいなものがあることを知り、益々はまっていきます。

コーヒー好きが高じて30歳を期にカフェを出してみようと思います。退社して人生かけるのですから、慎重に物件や業態を模索したのですが、ときはバブル崩壊・・・踏み出せるほど物件が見つかりませんでした。遊んでいるわけにもいかず、その間に親の店を手伝ったことがコーヒーから日本茶への分かれ道となります。

親の店ではお茶も販売していました。手伝いといえども取扱商品についての知識がなくてお客様に説明ができません。そこで乾物類を中心として勉強してみたらこれが面白い。その当時インターネットが普及し始めてきて、農薬やスローフードについての情報も手に入るようになりました。そこで店で売っている乾物類の生産履歴を調べてみました。しかし、残念なことにお茶は履歴が取れませんでした。卸してくれている問屋さんも教えてくれません。つまり、お茶の情報がなくわからないのです。それでは安全なお茶はどこで仕入れたらよいのかわかりません。であれば、お茶の仕入を自分でやろうと思い、日本茶の勉強を始めることになります。

ありがたいことに、販促用のグッズの展示会で偶然出会った―高円寺でお茶屋を営んでいる―渡辺さんがいろいろお茶の仕入についてアドバイスをしてくださりました。ご紹介いただいた中でも特に『琥珀』という釜炒り茶に出会ったことによって、お茶の味は忘れられないものとなります。それまで知っていたはずのお茶の味と言うものがすべてブッ飛んでしまうほどの衝撃を受けます。それは、お茶の入れ方の問題、入れ方ひとつでこうも違うものかと、その奥深さを感じました。この感動をお客様にも伝えたい、安全なお茶とおいしい入れ方の両方を同時に提供できる日本茶カフェをやりたいと決意して、今の「茶井」ができました。